大マゼラン雲(だいマゼランうん)[
大マゼラン雲(だいマゼランうん)[4][5][6]は、かじき座からテーブルさん座にかけて位置する Sm 型の棒渦巻銀河[5]。Irr-I 型の不規則銀河に分類されることもある。小マゼラン雲とともに銀河系の伴銀河となっており、アンドロメダ銀河などとともに局部銀河群を構成している。大マジェラン雲と表記されたこともある
大マゼラン星雲と呼ばれることもある[8]が、英語名の the Large Magellanic Cloud (LMC) の訳語に当たるため、「- 星雲」ではなく「- 雲」である。日本変光星観測者連盟 (VSOLJ) ローカルでは、さらにこの星雲を銀河に置き換えた大マゼラン銀河という表記が行われている[9][10][11]。ラテン語名 Nubecula Major。
大マゼラン雲は、南半球の人たちにとっては有史以前から知られていた。したがって、発見者は特定できない。10世紀イスラムの天文家アッ=スーフィーは著書『恒星の書』において、ほぼ北緯12度15分にあるバブ・エル・マンデブ海峡 Babd al Mandab (sic.) を境にして、バグダードやアラビアの北部では観えないが、アラビアの南部では観え、al-Bakr (「白い牛」の意)と呼んでいたと記している[2]。
「- マゼラン雲」の名は、ポルトガルの航海家フェルディナンド・マゼランが1519年の世界周航において記録していたことにちなむ。それ以前の航海者は「ケープの雲」と呼んでいた[2]。イタリアのの航海家アメリゴ・ヴェスプッチが1503年から1504年にかけて行った第3の航海において言及している「3つのカノープス[12]」の1つが大マゼラン雲ではないかと考えられている。また、同じイタリアのアンドレアス・コルサーリが1517年の航海の際に描いたスケッチにも見えている。
1603年ドイツの法律家ヨハン・バイエルは星図『ウラノメトリア』において Nubecula Major としており、1679年フランスの宮廷建築家オギュスタン・ロワーエの星図には Nubes Major とある。1801年ドイツのヨハン・ボーデは星図『ウラノグラフィア』においてバイエルを踏襲し、なおかつ独立した星座大雲座として扱っていた。
南天にあるため、日本からは見ることができない。南半球では、かじき座とテーブルさん座にまたがるぼんやりとした雲のように見える。「太陽系からおよそ16万光年(5万パーセク)の距離に位置し、質量は銀河系の10分の1程度、直径は銀河系の20分の1程度の矮小銀河である。形態は不規則銀河であるが、わずかに棒構造や渦巻構造の痕跡が見られる。このことから、かつては棒渦巻銀河であったものが、銀河系との相互作用によって変形を受けて現在の形状になったと考える研究者もいる。将来的には銀河系と合体すると考えられている。
大マゼラン雲は、局部銀河群の中ではアンドロメダ銀河 (M31)・銀河系・さんかく座銀河 (M33) に次ぐ4番目に大きなメンバーである。
大マゼラン雲には、局部銀河群の銀河の中でも最も活発なスターバースト領域である散光星雲のタランチュラ星雲 (NGC 2070) や、1987年に出現し、宇宙ニュートリノが検出された超新星 SN 1987A が存在する。
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